musashiman’s book review

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Book(Manga)「鴻上尚史・東直輝『不死身の特攻兵⑧~生キトシ生ケル者タチヘ』9度の出撃から生還した特攻兵の軌跡」

 

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 漫画「『不死身の特攻兵⑧~生キトシ生ケル者タチヘ』(原作・鴻上尚史、漫画・東直輝 講談社)は、太平洋戦争中にフィリピン戦線で特攻部隊「万朶隊(ばんだたい)」の隊員として9度の特攻から生還した佐々木友次さんにインタビューしたノンフィクション「不死身の特攻兵~軍神はなぜ上官に反抗したか~」(鴻上尚史著、講談社現代新書)のコミカライズ第8弾です。

 

 ストーリー

特攻兵士たちの戦争の真実

 8巻の紹介にあたり、7巻からストーリーを進めます。7巻では佐々木伍長の7度目の出撃の様子が描かれます。

 万朶隊の佐々木伍長は「第5飛行師団 菊水隊」に同行、第五飛行団長の小川小二郎陸軍大佐は、「佐々木のやっていることは、特攻隊の最大の模範である」と鼓舞。そして隊員たちを、「敵戦闘機を見たら逃げろ、絶対に無駄死をしてはならない」と激励し送り出します。

 

 しかし、佐々木伍長は出撃にあたり、ふと既に戦争で他界した兄から「おまえはまだくるんじゃないぞ」と飛行機の窓から語りかけられます。なぜか佐々木の乗った特攻機は、出撃したものの整備不良で飛行せず、そのまま地上で停止してしまいました。

 

 ただ菊水隊の49人はミンドロ島南方150キロ地点で次々に敵機からの攻撃を受け全滅してしまいます。佐々木伍長もこの戦闘では出撃していたら死んでいたかも知れません。なぜか、戦闘機の故障という運が味方したのか、ここでも死ななかったのです。

 

  後日、ミンドロ島へ出撃した佐々木伍長ですが、この日も出撃機7機のうち、生存者は佐々木伍長一人となりました。やがて、健常な佐々木も原虫感染症マラリアにかかってしまいます・・・。戦争中には飢餓や感染症で死んだ兵士は多いですが、マラリアは現在も世界中で年間2.16億人が感染し、うち44.5万人が死亡しています(2016年、ウィキペディア

 

  生死を賭けた過酷な戦場で特攻兵として戦うということの意味は理解しても、誰もが生き残りたい・・・この気持ちはどの兵士たちも同じです。「万朶隊」の鵜沢軍曹もその一人でした。鵜沢軍曹は自ら特攻機を故障させ負傷し帰還します。8巻ではこの鵜沢軍曹の再度の出撃から始まります。

 

マラリアで入院した特攻兵の壮絶な体験

 一方、1944年12月21日ルソン島カローカン飛行場では第四航空参謀長 隈部正美陸軍少将が、米軍の新手上陸船団に対し旭光隊、若桜隊など四航軍に出撃することを命令します。この中で勇敢に戦い抜くのが、若桜隊の池田陸軍伍長でした。いつの頃からか池田伍長は佐々木伍長に感化されていたのです。

 

 佐々木伍長は依然として野戦病院マラリアで高熱にうなされたままでしたが、この病院でマラリアで合併症にかかった靖国隊の変わり果てた出丸中尉と出会います。なぜ、出丸中尉はこの野戦病院に入院したのか、これまでの壮絶な戦火の状況を語り始めます・・・・。

 しかし、戦争は非情です。そんな瀕死の状態にある出丸中尉にも、猿渡参謀長は出撃を命じるのです。

 

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Reading Comment(ブログ筆者)

310万人の戦没者中、フィリピンで51万人の日本兵が死亡

 日本が戦争中は、20代そこそこの若者たちが兵士として徴兵され、日本のために海外の兵士たちと闘いました。日本軍兵士の戦没者は310万人といわれますが、生きて生還した人たちも存在します。現在は90歳以上で他界する人も増え、貴重な戦争体験を語る人は年々、少なくなっています。

 

 佐々木友次さんは万朶隊(ばんだたい)という特攻隊に属していました。万朶隊はフィリピンのルソン島、レイテ島などで出撃を繰り返した特攻部隊です。1941年からの戦争で日本はフィリピンを占拠し1944年から2年に及ぶ戦闘は、フィリピン奪回を目指す米国連合軍と防衛する日本軍との間で行われました。

フィリピンでの戦争では51万8千人の日本兵が死亡したといいますから(旧厚生省)、いかに生き残ることが困難だったかが分かります。しかも佐々木さんたちの部隊は天皇陛下の裁可を得ていない公認の部隊として、つまり、個人が志願した形で結成された特攻部隊だったのです。

 

 

何があっても生き延びてやると決意

 佐々木さんは特攻隊として徴兵されたのですから、本来は一度の出撃で死んでしまった筈なのです。しかし、それを断固拒否し敵機を爆撃し大破させては帰還しました。特攻隊の義務は敵艦隊に突撃して死ぬことですから、そんな彼をよく褒める上官はいませんでした。

 

 でも、佐々木さんは「自分は絶対に死なない」と決めていました。日露戦争に出兵し生還した父親の「人間はそう容易には死なない」という言葉をいつも忘れないでいたのです

 

 凡人から見ると戦闘機に乗って爆撃を繰り返すだけでも大変なことだと思いますが、佐々木さんは、そんな戦闘を何度も繰り返しました。さすがにマニラ北東を飛行中に、機体の調子が悪くなり不時着し、あらためて操縦席がボロボロになったのを見た時は、自分が生きているのが不思議に感じたといいます。

 

 「第1巻」から「第6巻」までには巻末で原作者の鴻上尚次さんが佐々木さんにインタビューしたもの一部を再録しています。

「第4巻」のインタビューの中で、佐々木さんは「何があっても生き延びてやる」と強い意志を見せながらも、一方で自分が生き残って生還したことに関して「寿命だとしかいえない」と答えています。何か本人とは別の違った力が働き本人を生かさせたというしか言えない部分があるのかも知れません。

 

 おのれの命を捨てるのが当然という特攻隊の中で、自分は絶対に死なないと決め、何度も危険に遭遇しながらも、勇敢に闘い続けた佐々木さんのような日本人が存在したことを決して忘れてはいけません。(佐々木さんは2016年2月に92歳でご逝去されました)

関連本

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『青空に飛ぶ』(鴻上 尚史):講談社文庫|講談社BOOK倶楽部