musashiman’s book review

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Book.「痛くて辛くて当たり前、病気があり健康がある 樹木希林『この世を生き切る醍醐味』」

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「この世を生き切る醍醐味」
樹木希林著、朝日新聞出版)

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 女優の樹木希林さんが他界して1年と1か月が経過しました。樹木さんはテレビドラマ「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」や、映画「わが母の記」「東京タワー~オカンとボク」「神宮希林 わたしの神様」「あん」「万引き家族」「日々是好日」など数多くのドラマや映画に出演。日本アカデミー賞最優秀主演女優賞のほか、2008年に紫綬褒章、14年には旭日小褒章を受章しました。
 一方で03年には網膜剥離で左目の視力を失い、2年後には乳がんにより右乳房を全的手術し、13年には全身ガンであることを公表。以降も精力的に女優業をこなしてきました。樹木さんの偉大さは映画作品はもちろんですが、現在も続く出版物をみても分かります。
 

 死後3か月が経過して発売された「一切なりゆき」(樹木希林著、文藝春秋)は150万部を超えるベストセラーとなり、今年に入ってからは「樹木希林120の遺言~死ぬときぐらいは好きにさせてよ」(宝島社)、「樹木希林 ある日の遺言 食べるのも日常 死ぬのも日常」(小学館)、「この世を生き切る醍醐味」(樹木希林著、朝日新聞出版)、「老いの重荷は神の賜物」(樹木希林著、集英社)などが発売されています。中でも「この世を生き切る醍醐味」は、希林さんが他界する半年前にインタビューされたものを収録。加えて娘・内田也哉子さんが語る母親についてのインタビューも併録されています。ドラマ、映画、病気、夫、家族について希林さんがストレートに語り尽くしています。
 

忘れなかった心の余裕

樹木希林さんがいかに優れた女優だったのかは、希林さんが出演して、これまで話題になったドラマやテレビCM、映画を通じて知る人は多いと思います。しかし、プレイベートはどんな女性で母親、妻だったかを知る人はそう多くはいません。
 「この世を生き切る醍醐味」には娘・内田也哉子さんが母親について実直に以下に語っています(ブログ筆者が本書から抜粋引用し、作成しています)。
 
 母はあれだけの病気を抱えていて、一度たりとも「つらい」とか「痛い」とか弱っているところを見せたことがなかったですね。死に対しても未知の体験なんだから、怖かった部分もあったと思います。
 でも、母は「怖い」「苦手だ」「嫌だ」ということにぶつかった時の対処の仕方をいっぱい訓練してきていました。だから、試練をどう自分が受け止めるか、あるいは乗りこなせるかっていう心構えがあったのではないしょうか。
 

病気になってからは、ちょっと修行僧のような雰囲気がありました。痛くて当たり前、つらくて当たり前、怖くて当たり前っていうところから、「さあ、自分はどう生きるか」っていうことを、頭の片隅に置きながら自分自身とずーっと問答しているような感じに見えました。それでいて、いつもユーモアがありました。より強く心の余裕を持って、おかしみを常に携えて、何事にも向き合っていきたいっていう、精神が決まっていたようでした。娘ながら「本当にこの人は、人間なのかな?」って思うこともありました。
 

本当に自立した大女優

Commentブログ筆者
 数年前にちょうど人生の進路転換を模索していた時期に、ブログ筆者は偶然に「あん」(監督・脚本 河瀬直美、原作・ドリアン助川)という映画を観ました。ブログを書き始めて以降は、なかなか映画を観る時間が少なくなってしまったのですが、当時は1週間に2本は観ていました。
 
 ジャンルは洋画のアクションから推理、SFなど多岐に渡っていますが、邦画も欠かさずに観ていました。「あん」はレンタルショップの棚に話題作としてピックアップされていたのです。この映画の主役が樹木希林さんでした。
 
 この頃、既に希林さんは全身ガンであるということを公表していました。できれば長生きしていただきたいと思っていましたが、その想いは「あん」という映画を観て、より強くなりました。それから数年が経過しても、希林さんは主役ではありませんが、多くの映画に出演されていましたので、まだまだ長生きをされると思っていた矢先に訃報を耳にしました。
 
 以降、映画はもちろんですが、テレビ番組の特集や書籍等でも希林さんについて知ることができました。それまで希林さんは素晴らしい女優さんだという印象はありましたが、実はここまで自立された方だとは思っていませんでした。
 
 女優で生計を立てること自体が優れた方ですが、一方では不動産業も営み、しかも女優業はマネージャーはつけずに全て自分でマネジメントし、事務所は自宅兼用という生活を送ってこられたのです。
 これまでの活動を見てきても、全てが常に自分の行うことを社会や家族などに還元できるかを考えてきた、希林さんの確固たるポリシーを伺い知ることができます。60歳で左目を失明し、乳がんで右乳房を摘出、そして全身ガンと14年も闘いながら、あくまでユーモアを忘れずに、常に周りを明るくしていた希林さんは、旅立って以降も、多くのメッセージを発信し続けてくれています。
 
 「この世を生き切る醍醐味」の後半で希林さんは次のように述べています(ブログ筆者が本書から抜粋、作成しています)。
 「自分の身体は自分のものだって思っていたんですけど、借り物だって思えるようになりました。親から生んでもらった身体をお借りしているんだと。そこにね、なんだか分からない私という性格が入っているんだと。これだけたくさんのガンをもっていると、いつかは死ぬではなく、いつでも死ぬという感覚なんですよ。お借りしていたものをお返しするという気持ちだから楽です」

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